念 称 寺
   
  念称寺は、もとは比叡山延暦寺の末寺でした。室町時代の文明年間、蓮如上人がこの地方の布教活動に来られたとき、行心というお坊さんが帰依して浄土真宗に改宗しました。それ以後は四十九院にある真宗大谷派唯念寺の下之郷総道場となっていました。

 念称寺の本堂は、明治八年の大火によって燃えてしまいました。
 そのころ、蒲生郡安土山上の観音正寺では、境内を拡張して新たに立派な本堂を建てたので、その旧本堂はそのまま不用になっていました。そこで、念称寺では、それをゆずり受けて再建することになりましたが、なにしろその旧本堂を解体して、安土山の上から下ろし、五里の道をここまで運びつけることは、当時としては容易なことではありませんでした。そこで、この工事のために、門徒といわず、近所かいわいの人々が力を出し合い、その懇志によって、念称寺はようやく再建されたのでした。その材料が運びついた時には、材料が山のように積み上げられたといわれています。
 旧本堂は、もと天台宗のお堂であったのですが、真宗のお堂に建て変えるのですから、お内陣など大分改造されました。そのため、せっかく古い西国三十二番の札所というような由緒ある古刹でありながら、なかなか重要文化財の指定を受けませんでした。しかし、なにぶん、室町時代の古建築であり、外観はほとんど元のままであることを理由に、昭和32年8月26日、県の重要文化財に指定されました。柱、壁、縁の板まで全部元の槙材であり、屋根は全部よし葺きですが、火難をさけていまは原形の上にトタンが伏せられています。
                                                                 (甲良の民話より)
 
 
  
 
 
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