★番方講碑
西応寺の境内には「番方記念碑」が立てられています。
「番方講」というのは、室町時代に生きた蓮如上人の時代
から始まったと言われています。
「講」というのは、親鸞聖人のころは、法然上人の命日に
みんなが道場に集まってお経を唱え念仏に親しむ会のこと
でした。めいめいがお金を出して行事をいとなみ、また聖人
に送りました。親鸞聖人が亡くなられてからは、大谷廟堂を
維持するための灯明料として上納されました。
「番方」というのは、蓮如上人の時代にあった制度です。上
人が大津の御坊から越前の国吉崎へ移られたとき、7年間、
大津の御坊の留守番をしたということが記録に書かれていま
す。
講が最も活躍したのは、顕如上人の時代です。織田信長
が石山本願寺を十一年にわたって攻めた「石山合戦」では
番方講の人々が本願寺を守り続けました。
その番方講祈念碑が西応寺に建てられているということは
特筆されるべきことです。
祈念碑の碑文には、「西応寺の了覚は、石山合戦のとき、
顕如上人のよびかけにこたえて、衆を率いて信長軍に対抗
してがらをあげた」ということが書かれています。
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