④人々の信仰
  

下之郷には四つのお寺があります。昔から村人たちの信仰の中心として存在してきました。

その四つのお寺の歴史について紹介します。


西応寺

 平安時代の末、琵琶湖の西の志賀郡に住んでいた藤原五郎丸という人がお坊さんになり、心覚大僧正という名前になって、この下之郷にお寺を開いたのが始まりです。それから15代目の一融という人のとき、時宗という宗派の祖一遍上人が西応寺に来られて弟子になり、それから9代の間は時宗の寺でした。

 室町時代、蓮如上人が西明寺に来られ、その時の西応寺の住職、観阿は蓮如上人に帰依して、名前を了敬と改め、浄土真宗に改宗しました。それ以後今日に至るまで浄土真宗の寺として続いています。 

    念称寺

 もとは比叡山延暦寺の末寺でした。室町時代の文明年間、蓮如上人がこの地方の布教活動に来られたとき、行心というお坊さんが帰依して浄土真宗に改宗しました。それ以後は四十九院にある真宗大谷派唯念寺の下之郷総道場となっていました。

 念称寺の本堂は、明治8年の大火によって燃えてしまいました。そこで、安土山の観音正寺の旧本堂をもらい、明治十二年に再建したものです。現在は、県の重要文化財となっています。

 

   法専寺

 平安時代の982年、天台宗の末寺として創建されました。当時は西明寺のグループに属していました。

 法専寺も、蓮如上人がこの地方の布教活動に来られたとき、住職の舜願法印(俗称 朽木修理之助)が帰依し浄土真宗に改宗しました。織田信長が石山本願寺を攻めたとき、教如上人に味方して戦ったということです。明治8年の大火で法専寺も全焼してしまい、檀家も散り散りになって寺の再建はとても大変だったと記録に残っています。

 

  「忠犬昔話」 宝蓮寺

 永禄4年(織田信長が桶狭間の戦いをした翌年の頃)、古川仁助という人によって創建されました。

江戸時代中頃の1754年、四十九院唯念寺の護持道場となりました。

宝蓮寺も明治8年の大火で全焼してしまいました。

 下之郷にあった大寺、二階堂宝連院と名前がよく似ていますがその関連についてはよく分かっていません。