③「犬上」郡の由来
  私たちの住む甲良町、隣の多賀町、豊郷町をあわせて犬上郡といいます。「いぬかみ」という名前の由来は何でしょうか?
 日本で一番古い歴史書「古事記」に、「ヤマトタケルノミコトの子、稲依別王(イナヨリワケノミコ)が犬上君、建部君二つの族の始祖」と書かれています。大滝神社の境内にはその稲依別王を祀る犬上神社もあります。つまりこの地域一帯を統率した豪族が犬上氏であったことから「犬上郡」の名前がついたのです。
 犬上氏で有名な人物に、遣唐使として中国に行った「犬上御田鋤(イヌカミノミタスキ)」がいます。
 犬上氏の代々の居住地はどこにあったのか定かではありませんが、豊郷の八目には、「犬上君居館跡」という石碑が建てられています。
 犬上氏は、隣の依智氏(エチシ)の協力を得ながら田畑の開墾を行ったようで、分水施設を今も「かっとり」というのは、秦勝鳥に由来するという説もあります。
 下之郷をはじめ、甲良町・多賀町一帯の27ヶ村は「河原荘」と呼ばれ、室町時代は比叡山延暦寺の荘園になっていました。


やまとたけるのみこと

 12代景行天皇の皇子。
 幼名を小碓命(おうすのみこと)、武勇に秀てていた。
 16才のとき、天皇の命により、九州の熊襲(くまそ)を平定 した。
 つぎつぎと命令され、日本各地を平定し、最後は伊勢でな くなる。
 この図は東征の折り、酒折宮(さかおりのみや)においでに なった時の姿。 
 「忠犬昔話」

 大昔、この地方の豪族に「犬上の君」という武勇にすぐれた方がおいでになりました。

 ある日犬上川にそって山奥に入り、きれいな流れにみとれながら休んでいま した。狩りの疲れからうとうとしていると、かたわらにいた愛犬がけたたましくほえます。なだめてもますますほえたてるので、思わず腰の剣で犬の首を切りました。するとその首は空中高く舞い上がり、松の大木にまきついてこちらのすきをうかがっていた大蛇の首にくらいつき、大蛇もろともどさっと地面に落ちてきました。

 命をなげうって主君を守ったその忠節に感激された犬上の君は手厚く葬りました。愛犬の胴を埋めたところが「犬胴松」としていまも大滝神社付近にあります。