②村の神様から祖先を探る
   大昔の人々は、太陽や月、草木すべてのものに神様がおられると考えていました。
人々は、荒れくるう風や雨を神様の怒りとして恐れ、神様の宿る森や山に神様を祭りました。
下之郷の九日講が「山の神講」とよばれているのも、こうした大昔の人々の信仰からきているのでしょう。

 下之郷の桂城神社にお祭りされている神様は「少名彦命・国常立尊・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王・左大辨成頼」の六人の神様だそうです。
 日本で一番古い歴史書、古事記によると少名彦命は、「海から来た神様で、大国主命の国造りに協力した神様」と書かれています。また、畑や田んぼの神様という説もあります。
 神社の言い伝えでは、桂城神社は、もと「葛城社」とか「松宮梵天王」「六所権現」などと呼ばれていたそうです。
 六所というのは、「下之郷」「雨降野」「八町」「八目」「石畑」「四十九院」の六つの村のことです。西暦1400年頃、葛城神社がこれら六つの村の総まとめの神社になったのでそう呼ばれるようになったのです。
 大昔、奈良に大和朝廷があったころ、その大和朝廷と並び立つぐらい大きな力をもった豪族「葛城族」がありました。この葛城族は、雄略天皇に攻め滅ぼされ、各地に逃げました。その一族の葛城氏は近江の国へ逃れました。
多賀や甲良、豊郷地区の神社に祭られている神様はどれも葛城氏と関係があるところから、その一族が移り住んだのではないかと考える人もいます。
 なお、葛城氏とは「スクナビコナ」のことであり、朝鮮からの渡来者と考える学者がいます。
 もしそうだとしたら、私たちの祖先は朝鮮からやってきた人々ということになりますね。