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             こ  せ かなおか      だ  き  に てんまん だ ら ず
       巨勢金岡筆 「荼枳尼天曼荼羅図 

 
 
 下之郷区が保有している文化財の一つに「荼枳尼天尊像」の絹本着色の掛軸があります。
 平安時代前期に活躍した有名な絵師巨勢金岡筆と箱書きされており、たいへん貴重なものであることから、現在は県の施設に保管委託しています。
 その荼枳尼天尊像の掛け軸が、長野市立博物館の第54回特別展「善光寺と戸隠・飯縄信仰」(平成27年4月25日~5月31日)で展示されることになりました。
 長野市立博物館の担当の方から、借用依頼とともに、この曼荼羅図の赤外線写真も送ってくださいました。
 長い年月を経て詳細が見えづらかったこの掛け軸の本来の姿が鮮明に映し出されており、改めてこの掛け軸のすばらしさが分かりました。
  
その荼枳尼天尊像(曼荼羅図)を紹介します 写真
 この掛け軸の由来について、川並稔男氏は次のように解説されています。 

─ 現在、下之郷の区有として伝来している絹本着色の二幅の掛軸がございます。一つは、荼枳尼天尊像、一つは山王七社御像で、これを収めた箱のなかに次のような文が入ってございました。

「近江国犬上郡下之郷村
 金岡筆 荼枳尼天尊像 學林坊什物
 山王七社御像 圓城北院 勝學院什物
 寛保歳中 沙門大僧都行進 修復改
 今 明治三 庚午三月吉日 修復改
 當社什物 神主上ノ門十郎代」

 「この二幅の軸は桂城神社の什物であるが、巨勢金岡(この人は平安時代の宮廷絵師としてあまりにも有名な方でございます。)の筆である。
 この二幅の軸は、元は學林坊というお寺の什物であった。寛保年間(江戸時代中期)に行進というお坊様が修理をした。
 そしていま、明治三年に神主である上ノ門十郎が修復をした。」

 と書いてございます。
 実は、この學林坊や勝學院というお寺がどこにあるのか、長年の謎でございましたが、先日、ふとしたことから、これが三井寺、つまり園城寺の北院三十余坊の中の二つであることが判明いたしました。園城寺の北院があった三万坪は明治の初めに陸軍が接収いたしまして連隊となったそうでございます。
 終戦後、これが返還され、現在の大津商業高校あるいは大津市役所、最近建った大津歴史博物館といったあのへん一帯であると言われております。

 この江戸中期に修復した「行進」は、私のひいき目でしょうか、「行」がつくのでやはり二階堂氏一族ではないかという気がしてなりません。遅ればせながら、この軸は先日、甲良町指定文化財となったのでございます。─
                      (1997.9.1発行の下之郷広報「ふるさと大発見」より)


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