「おたけさん祭り」の由来

  毎年、4月30日と9月30日の2回、「おたけさん祭り」が行われています。この祭りの由来について、古記録から紹介します。

「そりゃ火事だ。」といえば、「また下之郷」といわれるほど、明治の初年以来下之郷には火事が多く発生しました。当時の記録によると、明治八年には一月から四月にかけて火事が続き、不安になった村人たちが氏神様にご祈祷までしたということです。ところが、祈祷のかいもなく、四月三十日にまた大火災が発生しました。
この時の火事では、二百六戸が焼失し、わずかに二階堂付近に十数戸残っただけという惨状だったそうです。

「村中丸焼野原ニテ隣村親類又ハ焼残リ方ヘモ引移リ当惑申ヨリ夫々親類之助救ヲ以テバラ竹ニテ仮小屋相立被下当分住居雨露斗リ凌方難渋之姿御座候」

 さて、その当時、桂城神社では杉本安貞氏が祠官の任についておられました。

 明治7年8月のある暑苦しい夜のこと。杉本祠官が縁先で涼んでいると、火の玉が西方よりとんできて拝殿西角に留まり、祠官が咳払いすると火の玉はたちまち消えてしまったということです。不思議なこともあるものだと、近隣の人々に火の玉の件を尋ねましたが、誰も知らないとのことでした。

 その年の12月下旬のこと、杉本祠官は不思議な夢を見ました。
一人の女が夢に現れ「私は迷っております。どうか私を祀ってください。」と言うのです。翌晩再び夢にその女が現れ、「私を祀ってください。私は、その昔、多賀豊後守時代のたけと申すものです。この地は古来変死人が多いそうですが、私を祀ってくださったならば、今後変死人がないよう、この村をずっとお守りいたします。」と言い、杉本祠官は「承知致しました。」と答えると夢からさめました。
 さっそく、村方役人にこの夢を伝え、祀るべき地所の提供をお願いしましたが、やがて来る検知改めの際のわずらいを心配してすぐには聞き入れられませんでした。
 ところが、先に述べたように、明治8年の大火が起こり焼死人まで出たことから、「これはおたけさんのたたりだ。」という噂が村中に広がりました。

 そこで、翌明治9年9月、多賀豊後守に由緒のある小字殿城の地に祠堂を建てて鎮火神としておたけさんを祀りました。
 その後明治22年に桂城神社へ遷され、現在の五十告神社となったというわけです。
 「おたけさん祭り」(春祭り)